2009年11月05日

『悩む力』より

『悩む力』(姜 尚中著集英社新書)より、実践倫理宏正会の活動に関係しそうな部分を引用します。なお、この本では夏目漱石とマックス・ウェーバーが題材として使われています。下記の引用の中で出てくる『こころ』とは、
wikiより
(引用開始)
『こゝろ』(こころ)は、夏目漱石の代表作となる長編小説。友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人より、恋人を取ったために罪悪感に苛まれた「先生」からの遺書を通して、明治高等遊民の利己を書く。
(引用終了)

 『悩む力』の中で、マックス・ウェーバーの「末人」の話も出ています。会長先生の秋季大会の講話は、この本を題材の一つとしたのかもしれません。


(引用開始)
何が生きる力になるのか

 自由を得たことと引き換えに、私たちはいま、慣習という歯止めに代わって生きる推進力になる何ものかを、それぞれが手に入れるよう強いられているのだと思います。これは大変な難行です。しかし、結局それしか死への抑止力はないというのも事実なのでしょう。
 先にも述べたように、いまの社会では、否応なく世の中から見捨てられた気分で孤立している人も少なくないと思います。そうした人たちだけではありません。おそらく、活動的に仕事をし、懸命に自己実現を果たそうとしている人の中にも、空虚なものが広がっているのではないでしょうか。私自身、自分の生き甲斐というものを考えてみて、いったい何があるのだろうと、答えが出ないことがありました。たぶん、お金や学歴、地位や仕事上の成功といったものは、最終的には人が生きる力にはなりきれないのでしょう。
 では、力になるものとは何なのかと問うていくと、それは、究極的には個人の内面の充足、すなわち自我、心の問題に帰結すると思うのです。
 ここで私は再び、『心』の先生のことを思い出します。
 「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、其犠牲としてみんな此淋しさを味わわなくてはならないでしょう。」と先生は言いました。
 先生はお金に困っているわけでもなく、厭世的ではあるけれども、ひきこもっているわけでもありません。その点では、何不自由なく生きています。その先生に死を考えさせてしまうのは、やはり自我の孤独なのです。
 「人は一人では生きられない」とよく言います。それは経済的、物理的に支えあわねばならないという意味だけではなく、哲学的な意味でも、やはりそうなのです。自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか、自我はありえないのです。 先生は妻に、Kとのいきさつのことを最後まで告白しませんでした。そのために妻は満たされないものを抱えつづけ、結局、彼女を幸せにしてあげることができませんでした。それは妻への愛ゆえでもありましたが、自分の卑怯さを認めたくないというエゴ、あるいは、事実の秘匿はみずからの信念で選び取った道であるという自尊心ゆえでもあります。こうして、先生の絶対的な孤独は救われることがありませんでした。そして、そんな「自分の城」を守っている限りにおいて、人は誰ともつながれないのです。
 しかし、先生は最後に、隠し通してきたことを「私」に洗いざらい告白しました。守ってきた城を「私」に明け渡したのです。その瞬間、先生と「私」との間には、「相互承認」の関係ができたのではないでしょうか。そして、先生が「私」にそれをしたのは、先生が「私」を信じたからです。信じたからさらけ出すことができた。それでも先生は命を絶ちますが、その前に一瞬、自我の孤独から解放されたのではないかという気がします。
 漱石は、この本で、人がみずから死を選びうる自由についても書きました。が、それよりも、人が他者とのつながりを求める切実な気持ちについて、書きたかったのではないでしょうか。
 
つながりを求めつづけろ

 人と人がつながる方法は一つではなく、いろいろな方法があると思います。
 私にはどうしなさいとアドバイスできるわけではありません。と言うより、それぞれの人に悩んで考えてほしいと思います。「脳」に特化して上滑りになったり、「私」に閉塞して城を作ったりしないで、つながる方法を考えてほしいと思います。
 単純に「死んではいけない」とは。私には言えません。でも、「人とのつながり方を考えてほしい」とは言いたいのです。つながるためにはどうしたらいいか考えて、その意味を確信できたとき、たぶん、「生」も「死」も両方、同時に重みを取り戻すのではないかと思うのです。そう信じたいのです。
 私も長く悩みました。器用ではないので、ずいぶん時間がかかったと思います。子供のときに「自分は社会の中で誰にも承認されていない」という不条理に気づいて以来、遅々とした歩みの中で、少しずつ、人との間に相互承認の関係を作ってきたような気がします。ときには自己矛盾に陥り、投げ出したくなりました。ときには全力で当たっていかないで、ぬらぬらした宙ぶらりん状態に甘んじていたこともありました。他者を認めると、自分が折れることになるような気がして納得できなかったこともあります。
 しかし、その積み重ねによって、今の私があると思うのです。他者を承認することは、自分を曲げることではありません。自分が相手を承認して、自分も相手に承認される。そこからもらった力で、私は私として生きていけるようになったと思います。私が私であることの意味が確信できたと思います。 そして、私が私として生きていく意味を確信したら、心が開けてきました。フランクルが言っていることに近いのですが、私は意味を確信している人はうつにならないと思っています。だから、悩むこと大いにけっこうで、確信できるまで大いに悩んだらいいのです。
 中途半端にしないで、まじめに悩みぬく。そこに、その人なりの何らかの解答があると私は信じています。
(引用終了)

悩む力 (集英社新書 444C)
集英社
姜 尚中

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posted by 知られざる・・・ at 21:21| Comment(0) | 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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